大阪に山田硝子店という超優良企業があります。
話題を呼んだ超高層ビル「あべのハルカス」の内装ガラス工事は、この会社がすべて請け負いました。
年商約30億、従業員数百余名の中小企業ですが、50年にも渡って黒字経営を続ける老舗です。
現在、相談役の山田晶一さんは、1961年に父である初代社長の急死により、学生のまま、この会社の社長業を受けることになりました。
大阪に山田硝子店という超優良企業があります。
話題を呼んだ超高層ビル「あべのハルカス」の内装ガラス工事は、この会社がすべて請け負いました。
年商約30億、従業員数百余名の中小企業ですが、50年にも渡って黒字経営を続ける老舗です。
現在、相談役の山田晶一さんは、1961年に父である初代社長の急死により、学生のまま、この会社の社長業を受けることになりました。
社長になった当時、この会社の経営状態は悲惨なものでした。
それまで実質的に会社の指揮をとっていた二人の姉の夫たち(義兄)が、とんでもない放漫経営をやっていたのです。
負債が一億数千万円(現在では十億ほどに相当)。
二人の義兄が毎晩飲み歩き、その上、融通手形の乱発で大損をし、取引銀行からは見放され、高利貸しに多額の借金をしていたのです。
上がそうなら、腐敗は下にも及びます。
資材の横流しなど、不正を平気で行う空気が
蔓延していたそうです。
しかも山田さんが新社長に就任後、義兄は、優良な取引先すべてを抱えて退社し、自分で独立したのでした。
返す当てのない借金と心が乱れきった社員たち。
裏切りと背信に追いやられ、山田さんは死んで楽になりたいと思うようになりました。
大学を卒業してまだ2年目の山田さん、心はすっかり荒みきって、睡眠薬一瓶と縄跳びの紐を持ち、大阪城に足を向けました。
山田さんは一気に一瓶の睡眠薬を飲み干し、桜の枝に紐を張りました。
そこから先の記憶は山田さんにありません。
幸いにして、桜の木の枝が折れ、倒れているところを通行人に発見されて一命を取り留めたのです。
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