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社員を幸せにし、社会的弱者を救った会社のエピソード

2017/04/19 UPDATE
 
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生き返った山田さんは思いました。

「神様は私を死なせてくれませんでした。

まだお前にはやることがあるだろう。

そんな声がどこからともなく聞こえてきたような気がします。
 
一度は亡くした命。

ならばこれからは私利私欲や自己愛を捨て、他人への愛のために生きよう」

24歳の春。

山田さんの人生の中で、その日は最も大きなターニングポイントだったのです。

さて、しかしここからがまた大変でした。

死ぬことさえ許してはもらえなかった。

自分に残されたものは何一つ無い。

プライド、恥、弱さ。

山田さんは、そのすべてをさらけ出す覚悟を決めました。

当時の主要仕入れ先はセントラル硝子という会社です。

支払も滞りがちで、このままでは仕入れさえもできなくなります。

山田さんは、セントラル硝子の山本直一課長(故人)の自宅へと向かいました。

山田さんは、山本課長にすべてをさらけ出しました。

借金の膨大さと、危うい経営状況に山本課長は驚きを隠せませんでした。

これで、セントラル硝子との取引はダメになるかもしれない。

そうなればもう打つ手はない。

山田さんはじっと目をつぶって山本課長の言葉を待ちました。

山本課長は、ぐっと山田さんを見据えています。
 
山本課長は、ぐっと山田さんを見据えて、怒りをこめて言いました。

「どうして、もっと早く言ってくれなかったんだ!」

山田さんは返す言葉も見つかりませんでした。

しかしその翌日、山本課長は、セントラル硝子の東京本社に飛び、社長に直談判してくれたのです。

「山田硝子は、必ず立ち直ります。

この件は私に任せてもらえませんか。

すべての責任は私がとります」

一課長が社長に直談判をする。

それは通常ではあり得ない行為です。

まして、

自分自身の出処進退まで賭けるというのです。

後日、山田さんは語っています。

「どうして山本課長が若輩者の私などに手を差し伸べてくれたのか。

それは今でも分かりません。

ただ山本課長は敗戦から5年間、シベリアで抑留された経験があります。

どん底を見た人間として、どん底にいた私を救おうとしたのかもしれません。」




コメント

1
  • 1. いいねニュース訪問者
    (f35e76) 2022-03-08 22:18:18 [通報]
    嘘つきで有名な人じゃん
    0
    1
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