師匠の深見さんにも、ずいぶんいろんなことを教わった。
「おいタケ、鮨でも喰うか」って鮨屋に行って、オヤジさんがひとりと、若い衆が二人いれば、あの当時でひとりに祝儀を一万円渡していた。
師匠と俺の二人で握りを喰っても、一万円するかしないかの時代に、祝儀は三万円だった。
それも自分じゃ渡さない。帰りがけに俺に財布を渡して支払いをさせる。
その支払いにもタイミングがあった。
師匠が席を立つ前に渡してしまうと、鮨屋のオヤジさんは当然「師匠、ご祝儀ありがとうございました」と礼を言う。
そうすると、怒られる。
「相手にありがとうございましたと言わせるな。そういうの俺はきらいなんだ。ちゃんと俺が店を出てから払え」
これが師匠の教え。
また、俺が師匠と仲良くなって、「師匠、鮨屋行きませんか」って誘いをかけても、首を横に振ることがあった。
「行かねえよ」
「なんでですか」
「祝儀代がねえんだよ」
鮨の金がないわけじゃない。祝儀がない。
一万円はあるけど、あと三万円の持ちあわせがねえんだって言うわけだ。
それでずっとやってきた人だから、祝儀が払えなきゃ、飯を喰いに行かない人だった。 かっこよかった。
テレビで顔を売るタイプの芸人じゃなかったけれど、さすが浅草の深見だなあって、そういうことが何回もあった。
自分の一座を持ち、全国を回って興行していた人だから、もちろん堅気ではあるのだけれど、ヤクザみたいな人でもあった。
だけど、なんといえばいいのか、骨っぽいところがちゃんとあって、そしてとびきりの照れ屋だった。
端から見ても格好のいい、大人の作法を身につけている人は、だいたい照れ屋だ。
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