ある投稿者の娘さんたちが発した
何気ない言葉に対してのツイートが
ネットで話題になっているので紹介します。
その投稿がこちら。
ある投稿者の娘さんたちが発した
何気ない言葉に対してのツイートが
ネットで話題になっているので紹介します。
その投稿がこちら。
7歳と5歳の娘が「羨ましい」ことを「ずるい」と言う。非常にまずい。
他人が良い目にあってる事はずるくもないし、君が損しているわけでもないと滾々と説教。
そんな言葉を家で使った覚えはないつもりだが、テレビや学校の影響だとしても親の不徳。
価値判断はまだ出来ないにしても、私が「ずるい」と「羨ましい」の混同を恐れるのは、言葉の乱れが主眼ではありません。好ましいとは思いませんが、言葉は時代と共に変化し続けるもので、自分達の世代では使わなかった表現が出てくるのは仕方がないことでしょう。
それよりも「嫉妬の正当化」です。
嫉妬じたいは人間なくせないし、うまくプラスに使えばモチベーションになるでしょう。
しかし誰かが得をしている事は自分の損であるとか、更には不正義である、と言う発想は誰も幸せにしません。
「羨ましい」を「ずるい」と言ってしまう習慣が身につくと、そう言う発想にならないか心配です。
小さいうちは子供の行動は、ほぼ親の影響で親の責任ですが、年齢とともに親がして欲しいと思う様にはならなくなります。
自分が親の思いとは全然別の好き勝手を自分がやったのに我が子が同じ事をしないわけがありません。
子供に説教したところで、歳とともにドンドン効果はなくなっていくでしょう。
人間、自分の選択じゃないものに責任を取る事は本来はできないのですが、子供の選択だからと言って自己責任で放っておいてよし、とは親は思えません。
思い通りにならないとしても、子供の人生に結果責任を感じてしまうのが親です。
親がテレビや友達の悪影響と言い訳しても始まりません。
確かに、とても大切なことに感じます。
「羨ましい」とは、他人の能力や状態
をみて、自分もそうありたいと願うさま。
「ずるい」とは、自分の利益を得たり
するために、要領よく振る舞うさま。
これは、全く違う言葉。
他人の良い面を、プラスに考えるか、
マイナスに考えるかでその後の行動が
変わりますよね。
言葉一つとっても、やはり
教育って大事だと、再認識しました。
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