出典: www.sankei.com
出典: www.sankei.com
昭和の大スター松方弘樹さんの死。
聞こえてきたのは義兄弟と称された“辰兄”との心温まる友情話でした。
1月21日に脳リンパ腫のため亡くなった、俳優の松方弘樹さん。
映画『仁義なき戦い』シリーズや、仁侠映画、時代劇での名演技に加え、80年代以降はバラエティでも活躍した昭和の大スターの死を悼む声は、逝去した後も、やむことはありませんでした。
ジャンルを超えて、多くの芸能人に慕われていた松方さん。
でも、やはり芸能界で、その喪失感を誰よりも感じているのは、“義兄弟”とも称されるほど、深い絆で結ばれていた梅宮辰夫さんであることは間違いないでしょう。
東映の黄金時代、数々のヒット映画を世に送り出した2人は、お互いを、“辰兄”“浩樹(松方さんの本名)”と呼び合い、なんでも言い合える関係でした。
当時、2人がともに過ごした時間は、とにかく濃密でした。
その時代の実録路線の仁侠映画は、リアリティを追求するため、本物の組織の組長や幹部と実際に時間をともにし、その言動や生き方を学んで演技に生かすのが当たり前でした。
梅宮さんや松方さんも、そんな苛烈な日々を過ごしながら、信じられないペースで魂のこもった作品を世に送り出してきたからこそ、深い信頼関係で結ばれたんでしょう。
そして2人は、よく遊びました。
梅宮さんと松方さんに、故・山城新伍さんを加えた3人は、派手な女遊びで知られていました。
当時は、勝新太郎さんの“役者はサラリーマンのような普通の生活をしていちゃダメなんだ”という教えもあって、梅宮さんも松方さんも、いかにモテて女遊びをしているかというのを自慢し合っていました。
梅宮さんは“夜の帝王”と呼ばれていました。
松方さんも、インタビューなどで“(1年で)700人斬り”と豪語し、映画のロケ中に、じっと見つめてくる母と子どもがいると、“昔、関係を持った女性なのでは?”とソワソワし、その子どもに大金を渡そうとしたことが一度や二度ではないというから、スケールが違います。
共演女優と同時期に関係を持ち、梅宮さんとそろって病気をもらったというようなエピソードもあります。
コメント