希望に膨らませ新1年生を向かえた山梨県立日川高校に入学した一人の生徒。
日川高校は文武両道を掲げる名門校。
スポーツにも強い学校であって、多くの部でも全国大会に出場しては活躍してきた有名校。
その中でインターハイに17回も出場した経歴を残すバスケットボール部で起こった奇跡。
その奇跡の主人公は「田中正幸」くんです。
彼が出場した試合は公式戦は1試合だけです。
ですが、そのわずか3分半の短い間にドラマがあるのです。
そして、試合が終わると客席もバスケ部の仲間たちは大きな感動に包まれました。
田中正幸くんと日川高校のバスケ部の仲間には、ある約束がありました。
小学生からバスケットに夢中になった田中君。
将来は有名なバスケット選手に成ることが保証されていたかのように実力をメキメキと伸ばしていきます。
そして、田中正幸君は日川高校に入学し、念願のバスケ部に入部。
悲劇は前触れもなく、突然訪れます。
正幸くんは練習中に倒れてしまったのです。
病名は脳内出血。
手術は見事に成功しました。
奇跡的に意識を取り戻します。
手術から11日間は眠り続け、母はもうダメかと思うほどベットの隣に座り続けていました。
目を開けると正幸くんは、明日から何事もなくバスケットが出来ると思うほど、自分の病状は軽いものだと思っていました。
しかし、そうではなかったと自覚したとき、彼はもうバスケットボールが出来ないことを医者から告げられました。
彼は生きる希望を失っていました。
仲間が見舞いに来るが心あらずという様子でした。
自分の大好きなバスケができないという残酷な知らせに衝撃を受けました。
将来は間違いなくバスケット選手として大舞台で活躍されていたに違いないといわれる逸材。
彼はベットの中で何度も涙を流したことでしょう。
なんでだ。
なんでだ。
と残酷な日々と苦悩の戦いが続いたでしょう。
過酷な現実を受け止めた正幸さんはどうなったんでしょう。
正幸さんは、歩行困難と診断されます。
右半身麻痺になった彼の足は棒のように固くなり、思うように曲がることはできません。
ベットの中で動かなくなった足をさすったりしていくうちに、医師からリハビリの話がありました。
そして、車椅子から歩行訓練を繰り返すようになりました。
何日も寝たきりであった田中君は、右半身を引きずりながらリハビリは激痛でした。
ですが、周囲には弱音をはきませんでした。
友の前でも弱音の言葉など言ったら負けてしまうのが怖かったのでしょう。
折れそうな心の支えになったのは、古田先生から貰った一枚の色紙でした。
なんと、大ファンだった「桜井良太選手のサイン」でした。
田中君は苦しいリハビリにも耐え、一時帰宅をむかえます。
そして一番に行きたかったのは体育館。
続きはみなさま、ちょっと長いですが動画を見てください。
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