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「俺、いま幸せだよ。」 父さんが教えてくれていた”手話”が僕の人生を救った。

2017/02/21 UPDATE
 
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この『手話』という物語は、ある親子の話です。

子どもは生まれたときから耳が聞こえません。

自分の子どもが耳が聞こえない子どもだったら・・・。

子どもに申し訳ない気持ち・・・。

子どもの将来のために今できることは・・・。

父親の子どもを思う気持ちと、耳が聞こえないハンデと戦う子どものやるせない気持ちが交錯します。

それではご覧ください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
出典元:maternity-march



【手 話】


俺には母親がいない。

俺を産んですぐ事故で

死んでしまったらしい。
 

産まれたときから

耳が聞こえなかった俺は

物心ついたときにはもうすでに

簡単な手話を使っていた。
 
 
耳が聞こえないことで俺は

ずいぶん苦労した。

普通の学校には行けず

障害者用の学校で

学童期を過ごしたわけだが

片親だったこともあってか

近所の子どもに馬鹿にされた。
 
 
耳が聞こえないから何を言われたか

覚えていない(というか知らない)が

あの見下すような馬鹿にしたような

顔は今も忘れられない。
 
 
そのときは、自分がなぜこんな目に

あうのかわからなかったが

やがて障害者であるということが

その理由だとわかると俺は塞ぎ込み

思春期の多くを家の中で過ごした。
 
 
自分に何の非もなく

不幸な目にあうのが悔しくて

仕方がなかった。
 
 
だから俺は父親を憎んだ。
 
 
そして死んだ母親すら憎んだ。
 
 
なぜこんな身体に産んだのか。
 
 
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。
 
 
手話では到底表しきれない想いを

暴力に変えて叫んだ。
 

ときおり爆発する俺の気持ちを前に

父は抵抗せず、ただただ、涙を流し

「すまない」と手話で言い続けていた。
 
 
そのときの俺は何もやる気がおきず

荒れた生活をしていたと思う。

そんな生活の中での唯一の理解者が

俺の主治医だった。
 
 
俺が産まれた後

耳が聞こえないとわかったときから

ずっと診てくれた先生だ。
 
 
俺にとってはもう一人の親だった。
 



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