私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。
子供たちの苦しみを思い起こします。
子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。
私たちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。
これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。
言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。
しかし私たちには共有の責任があります。
私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。
そして、尋ねるのです。
我々は、一体これから何を変えなければならないのか。
そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。
いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。
しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。
その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。
私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。
そして、私たちに変化を促すものとなります。
あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。
アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。
欧州では連合(EU)ができました。
国々は、商業や民主主義で結ばれています。
国、または国民が解放を求めています。
そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。
制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。
それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。
私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。
私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。
しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。
しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。
このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。
それだけでは十分ではありません。
世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。
私たちの心を変えなくてはなりません。
戦争に対する考え方を変える必要があります。
紛争を外交的手段で解決することが必要です。
紛争を終わらせる努力をしなければなりません。
平和的な協力をしていくことが重要です。
暴力的な競争をするべきではありません。
私たちは、築きあげていかなければなりません。
破壊をしてはならないのです。
なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。
同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。
つながりこそが人類を独自のものにしています。
私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。
選択をすることができます。
子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。
人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。
物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。
原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。
殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。
アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています
アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。
すべての人類は平等である。
そして、生まれもった権利がある。
生命の自由、幸福を希求する権利です。
しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。
しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。
努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。
すべての人がやっていくべきことです。
すべての人命は、かけがえのないものです。
私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。
これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。
だからこそ私たちは、広島に来たのです。
そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。
たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。
亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。
多くの人々がそういったことが理解できると思います。
もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。
科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。
国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。
世界はこの広島によって一変しました。
しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。
なんと貴重なことでしょうか。
この生活は、守る価値があります。
それを全ての子供達に広げていく必要があります。
この未来こそ、私たちが選択する未来です。
未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。
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