「27歳の母を残して」
父、淳之助はわたしが生まれて100日目に召集令状がきて出征し、
その3年後に27歳の母を残して戦死した。
享年32歳だった。
父は亡くなる2ヶ月前の2月、わたしがもうすぐ3歳になる頃、
中国北支山西省から一時帰国し一日だけ秋田に帰ってきている。
わたしはその日のことを不思議な出来事として心の奥にづっとしまい、
しっかりと記憶していた。
物心ついて父に逢った、たった一度だけの日のことを。
祖父が経営していた『はかりや印刷所』の従業員の人々が気ぜわしく動き回り、
祖父母、叔父叔母、そして母がその日は『そわそわ、ざわざわ』していた。
浮き立つような空気の中、その人『父』は現れた。
わたしにとって『父さん』という意味がわからないまま、
みんなが『父さんだよ』という切羽詰った言葉の中に、
とっても『大事な特別の人』なのだということをつよく感じていた。
眼鏡をかけ、髭を生やしたその人は少し恥ずかしそうに
『おいで・・・・・』と両手を差し伸べた。
わたしは固くなって『抱っこ』された。
翌朝、雪の中をカメラを構えて叔父(洋画家・柳原久之助)が待っていた。
着物姿の父が両手を差し伸べたのに、わたしは母にしがみついたまま、
その写真のなかにおさまってしまった。
父は差し出した手を袖の中に組み、わたしは気にしながらも母の腕の中にいて、
そして一枚の親子の写真が残された。
それからずっとわたしは『悪いことをした』という思いに胸を痛め、
5歳になるまでそのことを悔やみ続けていたのだった。
5歳になったある日、母と上京し皇居二重橋の前で大勢の兵隊さんたちに出会った。
その中でひときわ目立って凛々しい兵隊さんが振り向いた。
『おいで・・・』と手招きしわたしに両手を広げた。
(アッ、今度こそは笑って『抱っこ』されよう・・・)
あの時の人ではないと直感しながらも
わたしは思いっきり走り、勢いよくその人の胸の中に飛び込んだ。
いままでのわだかまりが消えて心がスーッと晴れていくのを全身で感じていた・・・。
その人は父の隊長、杉山元 その人だった。
それは父の戦死から2年後母はまだ30歳の若さだった。
「恋文・旅の画帳 マディソン郡の橋 そしてニューヨーク」より。
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