トイレの清掃員は、とても簡単な仕事ではありません。
男女問わず、定期的に清掃に入り、便器の隅々まで清掃を行います。
もちろんゴム手袋はしていますが、時に頑固な汚れが付着していたり、ガムなどの粘着物が吐き捨てられている時は素手で作業する事だってあります。
私は、そんなトイレの清掃員をしてます。
ビル清掃の会社でパートとして働き、来る日も来る日もトイレやビルの共用部の清掃を行っています。
とは言え、この作業が好きだからやっているなんてカッコいい事は言いませんし、言えません。
ただ、一つだけ言える事は「仕事があるだけで、仕事を与えられているだけで感謝している」という事。
元々は正社員として働いていたのですが、6年前に急にリストラをされてしまいました。
当時上司に言われた解雇理由は、今でも忘れません。
「女性だから、今後の事を考えて優先的に切っていく事にした。」
こんな無責任で酷い一言だけでした。
そんな経験を経てきた私にとって、どんな仕事でも差別されずに必要とされる仕事は有り難く、とてもやりがいのある事。
来年で55歳を迎えますが、日々喜んでトイレの清掃を行い、利用者が快く使用出来るよう心がけてピカピカにしています。
清掃中は、もちろんトイレ前に「清掃中」の立て看板を置いて作業をしますが、それでも利用者はどんどん入ってきます。
普段、利用者にとっては『空気』の様な存在である私達は、特段気にもしませんが気にもされていません。
それぐらいが丁度いいのです。
しかし、ちょうど1年程前にとても嫌な経験をしたのです。
いつも通り男子トイレの清掃に入り、小便器をゴシゴシと掃除していた時です。
ビジネスタワーでもあるそこでは、丁度どこの企業も新卒採用の面接を行っている時期でしたので、大学生などリクルートスーツに身を包んだ若者が頻繁に出入りしていました。
私が小便器を丁寧に掃除していると、笑いながらまだ初々しい姿の大学生2人がトイレへ入ってきたのです。
そしてすぐに小便器を掃除する私に向かって酷い言葉呟いてきました。
「こんな仕事やだよなー。まじで無理だわ、俺。」
「いや無理とかってレベルじゃないだろ!トイレの掃除とかキモいって!!!とりあえずこうなったら人間のゴミだわ!(笑)」
知らないフリをして、聞こえないフリをしました。
一生懸命悔しい気持ちと、怒りを食いしばり我慢しました。
ここで言い返したりしては、私はこの大学生たちの言う様に本当の『ゴミ』になってしまう様な気がしたからです。
言い返す=認める事
このような思いが、咄嗟に私の心で我慢するという選択を取ったのだと思います。
しかし、この大学生二人組は、この後凍り付くような窮地へと追い込まれる事となったのです。
この大学生たちのすぐ後ろから入ってきた一人のおじさん。
このおじさんが、大学生が私の事をバカにした後、ボソッと大学生に言葉を掛けます。
「君たちは、就活生かい?だとしたら、0点だね。
なぜなら君たちは、仕事の意味を履き違えているようだ。
どんな仕事でも、仕事があるという事は必要とされているからなんだよ。
立派な仕事・・・誰にでも出来る仕事じゃないことをしてくれる人がいるから君たちは何不自由なく便利に使えたり利用できるんだ。
いいかい?『ゴミ』なんて言葉を使うんじゃない。
掃除をする方が、掃除をして給与をもらうだろ?
これは、その仕事や人に対しての「対価」=「ありがとう」という報酬なんだよ。
そこにお金という対価が発生しているという事は、必要とされているかなんだ。
ゴミじゃないんだよ。
でも、きっと雇う側も仕事を与える側も、君たちの様な価値観の人間には何も渡さないと思うが、どう思う?」
そう言い、ふと大学生が首から下げている名札を見てさらに笑みを浮かべこう言います。
「ふむ。面接か…楽しみだね。
そのロゴは私の会社のシンボルだ。
後で、面接室で続きを話そう。」
一瞬この意味が私には理解出来ませんでした。
しかし、大学生たちはすぐにこの意味を悟った様子。
どうやら、このおじさんは彼たちがこの後面接を受ける会社の社長だったのです。
私も、このビルの清掃をしていて何度か見かけた事はある顔でしたが、まさか会社の社長だったとは知りませんでした。
冒頭でも述べましたが、私はこの仕事を与えられているだけで感謝しています。
与えられている事、任せてもらえる喜びを知っているから…。
世の中に仕事や与えられる責務は数えきれないほど種類があるでしょう。
しかし、それをバカにしたり差別したり比べる事は決して良くはない事だと思います。
その職種、その責務には全てに『事情』があり、『原因』があり、『目的』があるという事を忘れてはいけません。
この翌日から、トイレで用を足しながら大学生へ説教をした『少しワイルドなおじさん』は、私を見る度に微笑んでくれます。
そして必ず一言声を掛けてくれます。
「いつもご苦労様。」
ただ、その二人の大学生をこのビルで見かける事は、あれ以来一度もありません。
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