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「僕は元気に生きている」難民選手団の柔道選手が生き別れた兄弟へ勝利後に涙のメッセージ

2017/02/21 UPDATE
 
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「僕は元気に生きている」





生き別れた兄弟へ届ける涙の勝利を挙げた難民選手団の柔道選手が話題になっているのでご紹介します。

難民選手団ってなに?



リオデジャネイロオリンピック難民選手団は、リオデジャネイロオリンピックにおいて、難民となり母国から出場ができない選手で構成された複数地域の混合チームです。同選手団は全10名で、出自はシリアやコンゴ民主共和国、エチオピア、南スーダンと様々で、内戦や政情不安などで他国に逃れた経緯があります。うち8名はケニア、ベルギー、ドイツ、ルクセンブルクで暮らす難民ですが、柔道に出場したコンゴ民主共和国出身のヨランデ・マビカ選手とポポレ・ミセンガ選手は、ブラジル政府から難民として認められブラジルで暮らす難民です。ブラジルは難民保護政策として母国において迫害の危険がある人々に積極的に「人道ビザ」を発行し、合法的かつ安全にブラジルに入国できる道を開いています。アメリカのオバマ大統領が「初の難民選手団が現れ、どこから参加しても成功できるのだということを世界に証明するだろう」とツイートしたことでも話題になりました。


難民選手団の柔道選手が初勝利!!!



柔道男子のポポル・ミセンガ選手は、リオデジャネイロオリンピックで結成された難民選手団の一人です。

今回、初めてのオリンピックで勝利を挙げ、会場から大きな歓声を受けました。

ポポル・ミセンガ選手は内戦が続くコンゴ民主共和国出身。

「難民に希望を与える、五輪出場をそんな機会にしたい。メダルをとって全ての難民に捧げたいです」

と大会前に意気込みを語っていました。



3年前に亡命。そして、夢の舞台で初勝利



ポポル・ミセンガ選手は3年前、世界選手権で訪れたリオデジャネイロで亡命しました。

一度は柔道を諦め、貧困地区で床屋のアルバイトをしながら生活していましたが、地元のNPOの支援を受けてオリンピック選手を育ててきたトップレベルのコーチの指導で柔道に再び取り組み、今大会初めて結成された難民選手団の一員としてオリンピック初出場を果たしました。

ミセンガ選手は、オリンピックパークのカリオカアリーナで行われた柔道男子90キロ級に出場。

難民選手団として名前が呼ばれると大きな拍手で迎えられました。

初戦の2回戦でインドの選手を立ち上がりから積極的に攻め、終盤に得意の背負い投げで有効を奪って優勢勝ちをおさめました。

惜しくも3回戦で敗退してしまいましたが、試合後はテレビカメラに向かって
「僕は元気に生きている。気付いたら連絡してほしい」
と、生き別れた兄弟へ涙のメッセージを送りました。

また、初めてのオリンピックを終え、「こんなに大きな歓声をもらえるとは思わなかった。感激している」と話していました。






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