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100年でたった一度の幕切れ…。必死に戦いぬいたマウンドに立ちすくむ姿に感動の涙。そして二人は再開した。

2017/02/21 UPDATE
 
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100年目を迎える甲子園でも、たった1度の幕切れがある。1998年夏の第80回大会2回戦。

豊田大谷(東愛知)と宇部商(山口)の試合は延長15回、宇部商のエース・藤田修平のサヨナラボークで決着がついた。

球審を務めた林清一にあの判定と「ルールの番人」の秘話を語ってもらった。


試合開始から3時間52分。

炎天下の激闘に幕を引いたのは、選手ではなく球審を務めた林のジャッジだった。

その瞬間、ぼう然と立ちつくしていた藤田だが、ベンチ前に整列するころには号泣していた。

ボーク、満塁、しかもサヨナラ。

歴史に刻まれる判定は、無情と言われようとも「見たまんまで判断する」。

それまでの審判員のキャリアで自らに言い聞かせてきたことを、このプレーでも適用しただけだった。


大会11日目の第2試合。

グラウンドは38度あった。

直後に横浜・松坂大輔(現ソフトバンク)と鹿児島実・杉内俊哉(現巨人)の激突が控えており、甲子園はすでに4万9000人を飲み込んでいた。


5回終了時、水を飲んだ。

9回に豊田大谷が追いつき、延長へ突入。

「水分、差し入れを期待したんですが、来なくてねえ」と今だから笑えるが、その時は笑えなかった。

塁審もバテて、打球を追い切れなくなっていた。

しかし「早く決着をつけたい、と思ったら、ジャッジが雑になる」と、必死の判定を続けた。


審判も酷暑と戦っていたのだから、選手はなおさらだ。

172センチ、60キロと細身の藤田はついに力尽きようとしていた。

15回裏、無死満塁。

この場面で藤田は林の想定にない動きをした。


「審判として一番いけないのはビックリすること。そうならないように、あらゆることを想定するのですがあの時、ボークだけは考えてもなかった」

と振り返る。

「ふらふらで、汗もすごい勢いで流れていた」

という林の眼前で、プレート板に足をかけたまま、藤田はセットに入ろうとした手を「ストン、と落としたんです」。

二塁走者から打者への球種伝達を警戒し、複数のサインを使い分けていた。

暑さで意識がもうろうとし、混乱したのだろう。

林はすぐに投手と捕手の間に割って入り、「ボーク」を宣告。

三塁走者に2度、生還するよう指示をした。

「スタンドが一瞬静まりかえって、そこからざわざわする声に変わりました」

とその瞬間を振り返った。

もし藤田が足を外していれば、ボークではない。

「だんだん不安になりました。(ミスなら)やっちゃった、審判人生、終わりだな」

とも思った。

ほどなくテレビを見た審判仲間や関係者から「間違いなくボークだった」の確認が入った。

黒子に徹するはずの審判が、最後の最後で主役になった。

試合後の会見では報道陣に取り囲まれ、詰問された。

「なんであんなところでボークを取るんだ」、

「注意で終わらせられないのか」。

この場を納めたのは、大会本部でプレーを見ていた幹事審判の三宅享次だった。

「審判は、ルールの番人です。以上!」と制した。


だが、林は血の通った番人だった。

甲子園には「ウイニングボールは目立たないように、勝利校の主将に渡す」という暗黙のルールがある。

が、藤田が返そうとしたボールを、林は受け取らなかった。

「持っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」。

藤田が2年生であることを知っていたからだ。

勝った豊田大谷にはポケットから出した別の試合球を手渡した。


15年後の2013年夏。

100年に1度のジャッジを下した林と、211球目を投げられなかった藤田が、高校野球イベントで再会を果たした。

32歳になった藤田は、家庭を持ち、職場での野球を楽しんでくれていた。

出典元:withnews.jp


※長男と野球を楽しむ藤田修平さん

「元気でやっているところを林さんに見せたくて」。


山口からかけつけた藤田の姿と言葉に、林は「感無量」と漏らし、涙を流したという。

出典元:chunichi.co.jp




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