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貧しく困っている人々に現金をプレゼントする「シークレットサンタ」の誕生秘話

2017/02/21 UPDATE
 
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アメリカでクリスマスになると

貧しく困っている人々に

現金をプレゼントする男性がいた。
 
 
彼はいつしか「シークレットサンタ」

と呼ばれるようになった。
 
 
1971年11月

23歳のラリー・スチュワートは

会社が倒産し路頭に迷っていた。
 
 
あまりの空腹に耐えきれず

ついレストランに入って

取り憑かれたように

注文してしまった。
 
 
請求書を出されようやく我に返り

お金を持っていないことに気づいた。
 
 
そして、なんとかその場を

取り繕おうとポケットの中を

探すフリをしながらも

警察に突き出されても

仕方が無いと思っていた時だった。
 
 
一人の男性店員が

ラリーの横でしゃがんで

20ドル札が落ちていたと

渡してくれたお陰で

彼は会計を済ませることができた。
 
 
だがこの人生最大の苦境に

偶然手に入れた20ドルが

後に彼の運命を変える重大な鍵となる。
 
 
1972年、運良く拾った20ドルの

残りを旅費にカンザスシティに

移り住んだラリーは

警備関係の会社を起こして

懸命に働いた。
 
 
結婚し子供も生まれたラリーは

幸せな生活を手に入れたかに見えた。
 
 
だが1977年12月、不況で会社が倒産し

その日の食事代にも困るほど

追いつめられた。
 
 
貧しさのせいでラリーは我を忘れ

銃を手に銀行に入り

強盗を働きそうになった。
 
 
だが、20ドル札を見て

ふと我に返り銀行強盗を

すんでの所で思いとどまった。
 
 
改心したラリーは1978年

妻の兄からの援助を受けて

セールスマンとして懸命に働いた。
 
 
だが彼はまたしても試練を与えられる。
 
 
1979年12月

会社の経営が思わしくないということで

ラリーは解雇されてしまったのだ。
 
 
もう助けてもらうあてがないと

途方に暮れていた時だった。
 
 
ふと目についた売店に立寄り

ポップコーンを注文した。
 
 
店員の女性は暗い表情で

違う商品とおつりをラリーに渡した。
 
 
ラリーは彼女が困っているのだと思い

おつりの中から20ドル札をプレゼントした。
 
 
彼女は受け取れないと言ったが

ラリーは『クリスマスプレゼントだ』

と言って手渡した。
 
 
この日はクリスマスだった。
 
 
女性は嬉しそうに礼を言った。
 
 
その笑顔がラリーを明るくし

彼は思いも寄らない行動を

することになった。
 
 
そのままラリーは銀行に行くと

なけなしの貯金を引き出し

白いオーバーオールに

赤い服とベレー帽という姿で

町に繰り出した。
 
 
そして困っているような人や

貧しい人に20ドル札を

クリスマスプレゼントとして手渡したのだ。
 
 
シークレットサンタが誕生した瞬間だった。
 
 
20ドルは大金ではなかったが

困っている人々にとっては

大きな助けとなり

喜んで 受け取ってもらえた。
 
 
それがラリーの人生にも

思わぬ影響を及ぼすことになる。
 
 
家に戻ると

妻から銀行にお金が残っていなかったのか

と聞かれた。
 
 
ラリーは落としてしまったと答えた。
 
 
すると妻は怒るどころか

仕方がないわね

でもあなたは幸せそうね

と微笑むだけで文句を言わなかった。
 
 
翌年の1980年

ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し

懸命に働いた。
 
 
そして、その年のクリスマスにも

道に立って人々に現金をプレゼントする

活動を続けた。
 
 
そしてその金額は少しずつ多くなっていった。
 
 
不思議なことにシークレットサンタとなって

施しをすればするほど会社の業績が上がり

長年の切り詰めた生活から抜け出し

家族のために家や新しい車を

買えるまでになった。
 
 
ラリーの妻も町中で

シークレットサンタの噂を

耳にするようになった。
 
 
彼は家族にも言っていなかったのだ。
 
 
彼はそれからも一年も休むことなく

シークレットサンタの活動を

続けたのだが、9年目の1987年12月

ついに妻にシークレットサンタが

ラリーであることがわかってしまった。
 
 
すまないと謝るラリーに妻は

「素敵なことじゃない。

 これからはもっと節約して

 たくさんの人を助けられるように

 協力するわ」

と答えた。
 
 
以後、家族もラリーの活動を知って

陰から支えることになった。
 
 
1995年、地元では

すっかり有名になっていたラリーは

匿名を条件に取材に応じた。
 
 
カンザスシティ・スター紙の

マクガイヤー記者は

彼も家族も一切表舞台に

出ようとしなかったと話す。
 
 
しかし報道されてから

シークレットサンタの正体への

関心はさらに高くなった。
 
 
一方ラリーは多くの人に

感謝されるにつれて

ある人物に会いたいという思いが

募っていった。
 
 
そして1999年12月

ミシシッピ州のトゥペロという

小さな町のある男性宅を訪れた。
 
 
その男性とは

シークレットサンタの生みの親だった。
 
 
28年前の1971年

一文無しだったラリーが

落ちていた20ドルに救われた日のこと。
 
 
本当の落とし主が現れたら困るので

逃げるように店を後にしたラリーは

我に返って真実に気づいた。
 
 
20ドルは、落ちていたものとして

男性店員が彼にくれたものだったことに。
 
 
男性店員はテッド・ホーンといい

当時のことを思い出した。
 
 
ラリーは彼がしてくれたことを

いつか誰かにしようと思ったのだと話した。
 
 
そして、テッドの20ドルがなかったら

刑務所に入っていただろうという。
 
 
自分の人生を正しい方向に

導いてくれたお礼にと

ラリーはテッドに1万ドルの

入った封筒を渡した。
 
 
受け取れないというテッドに

ラリーは自分が今あるのは

あなたのおかげだと引かなかった。
 
 
当時テッドは、ラリーを

警察に突き出すのではなく

自らの過ちに気づき

他人への優しさを知って欲しいと

思って20ドルを差し出した。
 
 
それをずっと覚えていて、

サンタ活動を続けたことには

頭が下がるとテッドは話している。
 
 
テッドさんはラリーさんから渡された

1万ドルを近所の病気で

困っている人たちや生活に

苦しい人たちのために使ったという。
 
 
人を思いやる気持ちは健在だった。
 
 
そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。
 
 
2001年には

世界貿易センタービル爆破事件のあった

ニューヨークに行き

ホームレスや職を失った人を中心に

2万5千ドルを配った。
 
 
2005年には

ハリケーンで壊滅的な被害を被った

ミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り

27年間で配った総額は150万ドル

(約1億5千万円)になった。
 
 
だが昨年、シークレットサンタが

ついにカメラの前に現れ正体を明かした。
 
 
彼は昨年4月、食道ガンのため

治療しなければ1ヶ月生きられないと

宣告されたのだ。
 
 
正体を明かしたのは

自らの命の宣告を受け

身近な人への思いやりを

広げて欲しいというメッセージを

送りたかったからだろうと

マクガイヤー記者は話す。
 
 
その反響は大きかった。
 
 
2日間で7000通もの手紙や

メールが彼のもとに届いた。
 
 
大半は自分もシークレットサンタ

になりたいというものだった。
 
 
その年のクリスマスも彼は病気を押して

サンタの活動を行った。
 
 
そのお陰で多くの人が笑顔で

クリスマスを迎えられた。
 
 
今年1月12日

ラリーは58歳で静かにこの世を去った。
 
 
それでも彼の笑顔と優しさは

数えきれないほどの人の胸に

永遠のサンタとして刻み込まれただろう。
 
 
生前ラリーは

シークレットサンタ協会を設立

会員資格は少なくとも1回

他人への親切な行為を行うこと。
 
 
今でも世界中から登録の申し込みが

後を絶たない。
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

苦しい時に助けられた感謝の気持ちが
ラリーさんをシークレットサンタへと
導いたのですね。


決して生活に余裕があるわけでもないのに
一人でも多くの困っている人に
プレゼントをつづけたことは
本当に素晴らしいですね。

きっと、そのことで救われた命や
人生がたくさんあったことでしょう。

このお話が少しでもあなたの
お役に立てれば幸いです!



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