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イジメにあっていた頃、”絶望”と”孤独”を感じていた私に思わぬ人が救ってくれた。

2017/02/21 UPDATE
 
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20年も前、私がやっと中学1年生になった春のことでした。

当時女子だけの科目だった家庭科の授業のために、隣のクラスの女子も私のクラスの教室に来て、先生を待っていました。

友達と雑談をしながら、私は自分の耳タブが熱っぽく腫れているのが気になっていました。

友人に聞いてみると、どれどれと…。

少し離れたところにいた友達も寄ってきました。

その中の一人が突然、こう言ったのです。
 
 
「あーーっ!ふうちゃん風疹だー! わぁーっ、みんなー! ふうちゃん風疹だ。近寄んないほうがいいよーー!」
 
 
大声で叫びながら、急いで私のそばを離れていきました。

ばい菌のついた雑巾のように言い捨てられ、私は惨めな気持ちと、いわれのない差別に憤って立ち尽くしていました。

他の子も黙っていました。

クラス中がシーンと黙っていたように感じました。
 
 
私は中学生の子どもながら、よく新聞の記事などで賑わう「イジメ」の入り口をこのとき感じました。
 
 
「あぁ、イジメっていうのは、最初はこんな小さなことから始まるんだ」
 
 
小さな胸を絶望感いっぱいに満たしていたように思います。

 
しかし、そこへ、思わぬ人が思わぬ行為に出たのです。
 
 
いつの間にか、スタスタと私のところへ歩み寄ってくる子がいました。

その子は隣のクラスの子でした。

耳は聞こえるけど、話すことが少し不自由。

だけど、普通学級の授業を受けても筆談などでカバーしながらクラスに参加している子でした。

その子が小さなホワイトボードにこんな文字を連ねて、私に提示したのです。
 
 
「保健室に連れてく。私、風疹やったから平気。あなたは大丈夫?」
 
 
・・・なんということだろう。

私はこれまで、話すことの不自由だったこの子に何をしてあげたんだろう。

むしろ、私はこの子が困ってる場面でも、隣のクラスだし「誰かが何とかしてくれるだろう」

みたいな気持で通り過ぎたこともあったのです。

その子が、そのとき、イジメの瀬戸際にたってる私に手を伸ばしてくれたのです。
 
 
ありがとう…
 
 
ボードに書かれた文字が、その子の表情と同じように、優しく心にしみて、身も心も痛んでいた私は、涙がポロポロこぼれてしまいました。

 
私は忘れないでしょう。
 
 
クラス中が急に冷たく思えたとき、一人迷わず私に手を差しのべてくれた勇気と優しさ。

自らの不自由さをかえりみず、困ってる人に寄り添う誠実さ。

私は、それからの生き方として、あなたの軌跡をいつも追いかけているようです。

あなたがいなかったら、私は現在の仕事の手話通訳士を選ばなかったと思います。

本当にありがとうございます!

引用元:amijuku.com

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

イジメは本当に些細なことから始まります。

イジメの苦しみは想像を絶するほど孤独です。

もし、身近にイジメにあっている人がいたら
勇気を持って手を差し伸べてあげて下さい。

その勇気が人を救い、自分の成長へと繋がると私は思います。



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