ある日の昼下がり。
電車の車内は中途半端に混んでいて空いていたのは優先席のみ。
会議で疲れていた私は周囲に気を使いながらそこに座った。
優先席に座るのは気が引ける。
しかし立ったままが辛いので座らせてもらうことにした。
発車間際、一人の若い女性が乗ってきた。
迷うことなくこの小さなスペースに座ろうとしている。
つまり私の横の席。
優先席である。
二十歳代後半だろうか。
マスクをしているので花粉症か風邪だろうと思ったが血色は悪くない。
体調には問題なさそうに見えた。
自分のことはさておき優先席のこんな小さなスペースに座らなくてもいいのに、と思った。
その直後、はっとした。
ゆっくりと体を運び入れてきた女性のカンバス地のバッグに遠慮がちに貼られていた「マタニティマーク」が見えたからだ。
お母さんと赤ちゃんが眼をつぶり、お風呂に入ってるほんわかしたイラストのマークだ。
しかし、実は私にとってこのマークはトラウマになっていた。
数年前のある日。
結婚して一年目、妻は私の仕事中に会社に妊娠の知らせをよこした。
妻が会社に電話をすることなどそれまでなかったことだった。
よほど嬉しかったのだろう。
母子手帳が妻の宝物になった瞬間だった。
妻と二人で子供が生まれる日を夢に描き赤ちゃん用品なども手早く取り揃えた。
このころ、マタニティマークは私たちの夢のシンボルだった。
しかし、その夢は破れた。
二ヵ月後、妻と私は手を取り合って涙を流した。
子を失った悲しさ以上に妻が悲しむ姿が痛かった。
妻の体を抱きかかえるようにして病院を出た。
しっかりと手を握ることしか私にはできなかった。
どんな言葉をかけてあげればいいのか分からない。
妻の手を握ることが私の精一杯の妻への慰めに過ぎなかった。
温かくほほえましい母親と赤ちゃんを描いたマタニティマーク。
それはその時から私の中の心の傷になっていたのだ。
電車はもうすぐ私の目的地に着く。
優先席に座った隣の女性に声をかけてみた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうございます」
彼女は嬉しそうに答えた。
その嬉しさは自分の体に対する気遣いに対してというよりも、妊娠に気づいてくれたことに対する感謝だと思えた。
そういえば妻が言っていた。
お腹が出ていなければ妊娠と分かってもらえない、具合が悪くて優先席に座ると若いくせにという冷ややかな視線を受ける、と。
人間は他人の苦しみになかなか気づかないものだ。
外見が健康体に見えるのならなおさらである。
しかし、お腹の中では胎児が生死の境をさまよっていることもあるのだ。
叶わなかった我が家の想いもこめて女性に言った。
「おめでとうございます。楽しみですね」
「ありがとうございます」
会話はそこまでにした。
それ以上話していると思い出し涙が出てきそうだからだ。
静かに目を閉じて寝たふりをした。
私が降りる駅が近づいた。
降りる間際、自分の目が赤くなっていないことを心配しながら彼女にしっかりと伝えた。
「元気な赤ちゃんを産んでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
彼女は笑ってこう付け加えた。
「頑張ります!」
その顔は笑っていてもすでに母親のたくましさがあった。
『日本の未来は私が紡ぎます
まかせてください! 』
そう宣言したようにも聞こえた。
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