母親のさきさんは大変教育熱心な方だったそうで、たけしさんの小学校6年生のときの誕生日プレゼントは小学生向けの参考書「自由自在」だったそうです。
そんな熱心な教育が功を奏し、社会に出てから長男は経営者、次男は大学教授、末っ子であるたけしさんは日本を代表するお笑い芸人であり、世界的映画監督となりました。
母親のさきさんは大変教育熱心な方だったそうで、たけしさんの小学校6年生のときの誕生日プレゼントは小学生向けの参考書「自由自在」だったそうです。
そんな熱心な教育が功を奏し、社会に出てから長男は経営者、次男は大学教授、末っ子であるたけしさんは日本を代表するお笑い芸人であり、世界的映画監督となりました。
しかし、当時のたけしさんはその教育熱心な母親から一日でも早く開放されたいと思っていたそうで、ついにはせっかく入学した大学を勝手に中退をしてしまったそうです。
中退後は、アルバイトを転々とし、フランス座、松竹演芸場などの舞台に出るようになるようになり、徐々に顔を知られるようになり、ついには、テレビに出演するようになり、人気を得るようになりました。
テレビで引っ張りだこになり始め、月給が100万円になった頃に、たけしさんは久し振りにさきさんに電話をしたそうです。
そうすると、さきさんは
「テレビに出てるね、金稼いでいるのか?小遣いくれ!!!」
とお金を求めるようになったそうです。
それ以来、2,3ヶ月に1度ほど「小遣いくれ」と請求されるようになったそうです。
そんな母親にたけしさんも「因業ばばぁめ!」と悪態をついていたそうです。
さきさんが亡くなる2年前の1997年にたけしさんは、92歳になり、軽井沢の病院に入院していたさきさんをお見舞いに行きました。
お見舞いに行くとさきさんは
「今度おまえが来るときは、あたしは名前が変わってんだ。戒名がついているからさ。葬式は長野で出すから、おまえは焼香のだけ来りゃあいい」
と憎まれ口を叩いており、まだまだ元気そうだなとたけしさんは思ったそうです。
その帰り際、たけしさんのお姉さんから
「たけしに渡してくれ」
とさきさんに頼まれたと紙袋を受け取ります。
軽井沢からの帰りの電車で、お姉さんから受け取った紙袋の中身を見ると一冊の通帳が入っていました。
しかも、名義はたけしさんの名義になっていました。
中身を見て、たけしさんは仰天したといいます。
これまで「小遣いくれ」と言われ、いやいやたけしさんが渡してきたお金が一銭も手を付けずに、貯金されていたのです。
しかも、自分の年金も少しずつ貯金し、総額で1,000万円近くにもなっていたそうです。
このとき、たけしさんはお兄さん達から
「いつもオフクロはお前のことを心配している」
と聞かされていたことを思い出しました。
さきさんが心配していたのは、芸人はいつ収入がゼロになってもおかしくない職業にもかかわらず、たけしさんは入ってくれば全部使ってしまうというのがその理由だったようです。
それで、さきさんは自分が嫌われてでも「小遣いくれ」といい、愛すべき息子が何かあっても路頭に迷わないようにかわりに貯金をしてくれていたのです。
このとき、たけしさんはこれまで憎まれ口を叩き、お金ばっかり無心してくると思っていた母親の本当の愛を知ることになったのです。
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母親の子どもへの愛情はとても深いものですね。
その愛情を知ったからこその、めったに見せないたけしさんの崩れた姿。
とても感動しました。
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