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知ってますか!?日本にある”ウサギだらけの島”が海外で話題に!!!

2017/02/21 UPDATE
 
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瀬戸内海の小さな島は、うさぎの楽園です。

「うさぎ島」の愛称で知られる大久野島(おおくのしま)には、約300羽のうさぎが暮らしています。

近くに人が来るとぴょんぴょんとエサをねだりにやって来るうさぎさんたち。

これほどの癒やしスポットがほかにあるでしょうか。

大久野島は広島市から東に約50キロほど離れた海に浮かぶ小さな島です。

島へはフェリーが運航しており、本州側からは忠海(ただのうみ)港から乗ることができます。

最寄りの駅はJR呉線の忠海駅で、港へは歩いて10分ほど。

行きは定員30人ほどの小さいフェリーでした。

15分ほどで島に到着します。

うさぎ島に上陸、そこで見たものは・・・

うさぎさんはどこだろーとワクワクしながら島に上陸。

桟橋を歩いて目の前の公園が目に入ると、想像以上の光景に吹き出してしまいました。

エサをあげる観光客の周りに群がるうさぎさんたちや、そこを目がけてぴょんぴょん突進するうさぎさん。

そんな状況があちらでもこちらでも。

その数と、野生ならではの自由っぷりに笑わずにはいられませんでした。


大久野島は定住者のいない無人島ですが、島には「休暇村大久野島」という公共の宿があります。

フェリーが到着すると、桟橋に宿のバスがやってきて運んでくれるのですが、この道中も予想の斜め上。

道路に寝転がってどかないうさぎさんや、横から飛び出してくるうさぎさん・・・

運転手さんは慣れた様子ですが、乗客は冷や冷やものです。

ちなみに、島へはカーフェリーも運行しており、自家用車を桟橋近くの駐車場に停めることができます。

一般車両の通行は禁止されています。

現在は「うさぎ島」としてリゾートアイランドになっている大久野島ですが、実は少し前まで、「毒ガス島」という名前のほうが有名でした。

島には戦前に作られた毒ガス貯蔵庫や毒ガス製造のために建設された発電所が残されています。

大久野島に毒ガス製造所が建設されたのは1929年のこと。

最盛期には約5000人が働き、年間約1200トンもの毒ガスが製造されていました。

国際社会では第1次世界大戦後に戦争での毒ガス使用を禁止する動きが出ていたため(ジュネーブ議定書)毒ガスの製造は極秘に行われており、大久野島は戦後まで地図から消されていました。

戦時中の製造作業や戦後の処理作業で被毒した方も多く、亡くなったり、後遺症に悩まされた方も多くいたそうです。

そういった大久野島の負の歴史は「大久野島毒ガス資料館」で知ることができます。

島に訪れた際は、ぜひ立ち寄ってみてください。

大久野島にうさぎがたくさんいるのは、実験に使われていたうさぎが自然繁殖したからではと思った人もいるかもしれません。

しかし、毒ガスの実験にうさぎは使われていましたが、戦後の処理作業で処分されてしまったそうで、このときの子孫は残っていません。

では、なぜ大久野島に300羽ものうさぎがいるのか。

それは、1971年に島外の小学校で飼いきれなくなった8羽を放したのがきっかけと言われています。

キツネやタカなどの天敵がいなかったのが幸いし、40年のうちに30倍以上に増えたわけです。

確実なことはわかりませんが、ウサギたちはその島にすみついたのです。

みなさまもかわいいウサギたちに会いに行ってみませんか?

なんと、この「うさぎ島」のことは海外のサイトで知りました。

それでは動画をご覧ください!!!







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