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トルコの人が親日な理由をご存知でしょうか!? 「人と人が想う。その真心が国を動かす」

2017/02/21 UPDATE
 
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1985年3月、イラン・イラク戦争は戦闘が激化。

イラクのサダム・フセインは
今から40時間後にイランの上空を飛ぶ
すべての飛行機を撃ち落とすと宣言しました。

当時、イランには
多くの日本人が滞在しており
誰もが急いでテヘラン空港に向かいました。

しかし、どの飛行機も満席。

世界の国々は、自国民を救出するために
特別機を飛ばしますが
日本政府は素早い決定ができずにいました。

救援機を出すこともできず
日本人の中にはパニックに陥る人も多かったといいます。

そこに1機の飛行機が到着します。

そして、取り残された
日本人216人を搭乗させると
成田に向かって飛び立ったのです。

それはサダム・フセインが示した
タイムリミットのほんの1時間15分前でした。

ただ、それは
自衛隊の救援機でもなければ
日本の航空機でもなく
日本から遠く離れた国
トルコ航空の飛行機でした。

しかしその時点では
トルコの飛行機がなぜ
日本人を救出してくれたのか
その理由について
日本政府もマスコミもわかりませんでした。
 
 
それには、こんな理由があったのです。
 
 
時を遡ること約120年
1890年9月16日のことです。

オスマン帝国(現トルコ)から
日本に派遣された特派使節が無事任務を終え
巡洋艦・エルトゥールル号で帰国の途についていました。

しかし、その日は朝から天候が悪く
和歌山県の熊野灘に差し掛かった時には
海は大荒れ。

木造であったエルトゥールル号は
舵の自由が利かなくなり
岩礁に乗り上げ沈没してしまったのです。

その時、自分たちの命の危険も顧みず
船員たちの救出に向かい
献身的な介護を行ったのは
旧大嶋村樫野(現・和歌山県串本町)の住民たちでした。

609人の乗組員のうち
救助できたのは69人だけでしたが
トルコの人々は彼らに
そして日本に深く感謝したのです。

トルコ航空の飛行機が
なぜ日本人を救出したのか。

元駐日大使は
こう語ったといいます。
 
 
『エルトゥールル号が遭難したときの
 日本の人々がしてくれた
 献身的な救助活動を
 今もトルコ人は忘れていません。
 
 私も小学校のころに
 歴史の教科書で学びました。
 
 今の日本人は
 忘れてしまったかもしれませんが
 トルコでは子どもたちでさえ
 エルトゥールル号の出来事を知っています。

 それで、テヘランで
 困っている日本人を助けるため
 トルコの飛行機が飛んだのです』
 
参照元:yuru2club.com

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

トルコの方の親日はとても有名ですよね。

この話も何度かテレビでも
放送されていますので
ご存じの方も多いと思います。

また、この話が映画化され上映されます。

▼こちらが映画『海難1890』の予告編です。

それにしてもトルコの歴史の教科書に
載っていることは日本人として
とてもうれしいことですね^^

日本の教科書も載せたらいいのに!



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